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私たちには、一生懸命頑張る牛さんとそれを大切に育ててくれる人たちがいるからこそ、美味しい牛乳をお届けできます。この物語には、そんな牛さんと酪農への愛に満ちあふれた時間が刻まれたエピソードがあります。
Episode.01
全ての物語は
ここから始まる
みんなの想いが込もった一滴
普段何気なく口にするシンプルな白い一滴には、安全で安心な飲み物にする為に沢山の人達が関わりますが、何より生乳を生み出してくれる牛さんの存在が欠かせません。
その一滴には、牛さんにとって気持ちの良い環境を作る人達や、栄養の整った食事を用意してくれる人達、美味しい牛乳を沢山の人に届け、口にしてもらいたいと願う人達の想いが込められています。
優しさと幸せから生まれるそんな製品を、沢山の人達と共に作っています。
美味しいひと口のために
牛さんが美味しい生乳を作るには健康で足腰の強い丈夫な体になることがとても大切です。多くの牛さんは鳥取県内や北海道にある放牧場に預けられ、より健康で美味しい生乳を作るよう、広大な土地で丈夫な体を作り、妊娠牛となって酪農家の元へ帰ってきて出産の準備をします。
酪農家は、出産後も牛さんが気持ちよく過ごせるように出来るかぎりの環境を作ります。牛さん達はそれに応え、いつもおいしい生乳を生み出してくれるのです。
沢山の人に毎日おいしい牛乳を口にしていただけるよう、大切な牛さんにたっぷりの愛情を注ぎます。
Episode.02
生涯現役を目標に
それが私の
牛への愛情表現
田宮牧場
田宮 良実 Yoshimi Tamiya
鳥取県西部の大山町にある田宮牧場。両親が1987年に現在の地に酪農場を設立。今はその両親の想いを引継ぎ、牛たちに愛情を注ぐ田宮さんがこの物語の主役です。
小さい頃に憧れた背中が酪農家としての原点
私の牧場は、祖父が数頭の牛を飼い始めたところから始まりました。1987年に両親が本格的に酪農を始め、小さい頃はよく「お手伝い」をしていました。父の背中に憧れ「酪農家になる」と決意したのは小学三年生の時です。農業高校や都会の大学を経て、地元に帰郷。社会を知ってほしいという両親の勧めもあり、すぐに実家に就農せず「酪農ヘルパー」として十年ほど色々な酪農家のもとで経験を積みました。今もその経験を活かし酪農に取り組んでいます。私は毎日、牛たちからの些細なサインを見逃さないように注意をはらっています。食欲の有無、直接手で触れて行う体温確認に加え、牛群検定の数字などから健康状態を管理して牛たちが健康でいられるように育て、祖父や父が牛たちへ注いだ愛情を絶やさないよう、生涯現役の意気込みで走り続けていきたいと思います。
当たり前の存在を誇れる存在にしていくために
酪農一家として、そして鳥取県民として常に当たり前の存在であった白バラ。「当たり前にあるもの」として過ごしていましたが、都会では白バラが身近にないことに衝撃を受けたのは今でも思い出します。
SNSなどで今も同じような声を見かけると、地元で「ソウルドリンク」と呼ばれるほど大きな存在として親しまれているのが納得できますし、自分が出荷した生乳が使われていると思うと嬉しくなります。
これからも白バラ牛乳が鳥取県にとって当たり前の存在であり続けられるよう、私は大山乳業の皆さんと一丸となり、牛たちに変わらぬ愛情を注いでいきます。
牛たちが元気に育ってもらう為にこれからも私自身が元気でいること、それが高品質な生乳をお届けすることへと繋がり、鳥取の誇るブランドであり続けることを願っています。
Episode.03
私たちの誇りは
「期待を裏切らないおいしさ」
武本牧場
武本 真宗 Masanori Takemoto
鳥取県中部の倉吉市にある武本牧場。約70年余りの歴史ある酪農場です。代々家族から受け継ぎ、3代目として日々牛たちに向き合う武本さんがこの物語の主役です。
あの日の一歩は、家族と共に未来を紡ぐ。
武本牧場は祖父から両親、そして3代目となった私に受け継がれ、70年が経ちました。幼いころから「酪農一家」の一員として暮らしていましたが、私自身は酪農家になろうと強く意識することはなく高校生まで過ごしていました。
酪農への一歩を踏み出そうと決めたのは大学進学前です。本格的な酪農を学び、長男として両親の牧場を守っていくために北海道の大学へ進学しました。
卒業後、地元に戻って十数年。来る日も来る日も牛を思い、多くの事を学び、体験してきました。
これからも家族や仲間と共に牛との時間を大切にしながら歩み続けたいと思います。
愛情を持って育てると牛は応えてくれる
おいしい生乳を届けたい。その為に乳成分をチェックし、牛の体調を見ながら牛舎環境や食事の改善をしています。
私が日々大事にしているのは「自分自身の目で直接見ること」、そして「牛との距離感」。ストレスに敏感な牛たちの些細な変化も見逃さないよう気を付けます。愛情を込めて育てた牛たちからの贈り物である「生乳」が白バラ牛乳としてお店に並び、お客さまが手に取る瞬間は、今も昔も私を嬉しく誇らしい気持ちにしてくれます。
私たち酪農家が牛と向き合うように、私たちには困った時も含め365日支えてもらえる頼れる存在の酪農指導部という心強い仲間がいます。「白バラのチームプレイ」がおいしい生乳生産へと繋がっています。
Episode.04
変わらないことが
自分のスタイル
今嶌牧場
今嶌 英臣 Hidemi Imajima
鳥取県東部にある今嶌牧場。父から引き継いだ農場は乳牛だけでなく和牛も一緒に育てています。そのスタイルを今でも変わらず貫き続ける、今嶌さんがこの物語の主役です。
経験と出会いを全てプラスに変えて
父親が和牛を1頭飼い始めたことが今嶌牧場の始まりでした。1982年に牧場は現在の地へと移り、今では乳牛と和牛を合わせ100頭以上飼っています。子供の頃からいずれは父親の農場を継ぐのだろうと思い続け、進学の際は畜産を学びに北海道の大学へと進学。帰郷後は地元の畜産農協へと就職し、様々な出会いと経験を得る事ができました。その経験も活かし、今では父親の農場を継いでいます。
私の牧場では、乳牛だけでなく和牛も一緒に育てています。同じ牛でも育て方は全然違います。大山乳業の酪農指導部から教わることも、畜産の仕事で学び繋がった人たちから教わることも全てをプラスに変えて、牛に愛情を注ぐ日々を過ごしています。
慣れ親しんだ美味しさをいつまでも
おいしい生乳を届けたい。その想いはいつまでも変わりません。北海道に進学していた頃を思い返してみると、なぜか牛乳を飲む回数が少なかったのは、身体が自然と白バラ牛乳の美味しさに慣れていたせいかもしれません。それほど白バラ牛乳の品質は良いものだと思います。その品質の良さをいつまでもお届けできる様に自分のできることを精一杯に変わらずやり続ける事が私の役目だと思います。
大山乳業と鳥取県の酪農家は切っても切れないパートナーです。様々な製品づくりで新しい挑戦を続ける大山乳業の姿勢を私は嬉しく思います。酪農家としてその挑戦を応援するには、良い生乳をお届けすることが一番だと思います。これからも乳牛、和牛を問わず牛への愛情を注ぎ続けるスタイルを変えることなく、品質の良いものをお届けできるように精一杯頑張ります。
Episode.05
未来へと繋げる
酪農家のこころ。
酪農指導部 指導課
松井 秋子 Akiko Matsui
獣医師を含めた指導職員で酪農家へのサポートを行う酪農指導部。牛の健康管理、乳質改善指導だけでなく、酪農経営、後継者育成までもサポートする松井さんがこの物語の主役です。
健康に育てることでみんなが幸せに
私は県外出身のため、白バラ牛乳の存在を知りませんでした。そんな私が白バラと出会ったのは獣医学科で獣医師を目指していた頃です。大学の先輩が大山乳業で獣医をしていると聞き、その仕事を見学させてもらったのが私と白バラとの出会いでした。そこで組合職員と酪農家の繋がりの深さに感動した私は、ここで獣医として酪農家と牛のサポートをしたいと決意しました。私たちは牛がきちんと出産できるように定期的な繁殖検診、全ての牛を対象とした牛群検定と呼ばれる健康診断を毎月実施することで、酪農家たちをサポートしています。牛群検定で乳質、乳量を確認することは、健康状態の確認そのものです。おいしい生乳をお届けするには、健康に育ってもらうことが何よりも大事だと考えています。
同じ志を持つ、守るべき存在
私たち酪農指導部にとって酪農家は、同じ目線で同じ目的へと進む仲間です。常に酪農家へのリスペクトを持ち続け、何か困り事があるときは解決できるように最善を尽くしています。その中で、私自身も酪農家から学ぶことがたくさんあります。良い事例は他の酪農家にも伝え、県内の酪農家と一丸となって、よりおいしい生乳づくりを目指しています。
また、私たちは酪農家戸数を守っていくことも大切な役割だと考えています。後継者の育成、酪農場の労働環境を改善するための取り組みに尽力し、酪農家の未来を守っていくことこそ、白バラの未来を守ることに繋がると信じています。
この牧場の牛乳を飲んでみたい。
より安全・安心・おいしい牛乳を生産することを目的とした制度です。これまで消費者からは見えにくかった生産者の取り組みを分かりやすい形にしました。
本制度に取り組むことで、農場の衛生環境や作業環境がさらによくなり、「この牧場の牛乳を飲んでみたい」と思って頂ける酪農を目指します。